大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

大阪地方裁判所 昭和31年(タ)83号 判決

原告 木村愛 外一名

被告 木村正雄

主文

原告らの各請求はいずれもこれを棄却する。

訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

原告ら訴訟代理人は、「原告木村愛と被告とを離婚する。右原被告間の長女木村保子、長男木村一郎の親権者を同原告と指定する。原告木村重次郎と被告とを離縁する。訴訟費用は被告の負担とする。」旨の判決を求め、その請求原因として、

一、原告木村重次郎(以下単に原告重次郎と称す)と訴外木村きたは、昭和二一年末被告との間に事実上の婿養子縁組をなし、同時に、原告重次郎の長女である原告木村愛(以下単に原告愛と称す)は被告と婚姻の挙式をなし、爾来、被告は、原告らの住所において、原告らと同棲し、同二二年二月二八日に右婿養子縁組、婚姻の届出がなされた。

そして、右挙式当時、被告は、会社に勤めていたので、原告らと同棲後も右会社に通勤し、原告重次郎ら養父母は菓子小売商を営んでいた。その後、被告と原告愛との間に同年八月一一日に長女保子、同二四年一月一六日に長男一郎が出生した。

二、ところで、被告は、同二五年勤めていた会社が解散したので、被告は失職した。その後は、被告が職を探しに出ても雇つてくれる者もなく、一時保険会社の外交員になつたことはあるが、一件の勧誘もできず一、二ケ月でやめてしまい、右養父母や原告愛も被告を励まし、何とか働くように奔走し、種々方法を尽したがその効はなかつた。そこで、原告愛は、原告重次郎夫婦に頼んで、原告重次郎らがやつている菓子小売商一切を譲り受け、被告と原告愛とで右商売を営んで行くことになつた。しかし、被告は、(イ)店などの掃除はせず、(ロ)品物の仕入れに行けば一日をついやし、しかも高い品を買つてくるし、(ハ)朝寝し、(ニ)店番をしていても、新聞を読んでいて、客の声を聞かねば腰をあげず、客扱いも悪く、(ホ)やかましく注意すると寝てしまい、寝ると何日でも寝ている始末で、さらに、(ヘ)被告の知能指数は不足しており、こんなわけで、商売も原告重次郎の営業中には、一ケ月家族が生活して、なお一、二万円の利益を預金できたのに、被告に営業を譲つてからは、次第に資本を喰いこんで、品物の仕入れも次第に減少する有様で再三仲に人をいれて被告に対し店の経営をうまくやつてくれるよう頼んだが、その効なく、一家が生活できなくなつた。

三、以上のような次第で、

(一)  被告は、独立して生活する気力もない、知能の浅薄な寄生虫的男性であつて、原告愛は、将来苦楽を共にする夫として被告を信用することができなくなり、父母の死後のことを考えると、被告との婚姻生活を継続することが出来なくなつた。以上のようなわけで、原告愛にとつては、民法七七〇条一項五号に規定するいわゆる被告との婚姻を継続し難い重大な事由があるものといわねばならない。

よつて、原告愛は、昭和三一年二月一日大阪家庭裁判所に離婚の調停を申立てた。そして、調停委員は現地調停までしたが、到底、調停成立の見込みもないので、原告愛は、同年八月二五日右調停を取下げ、原告愛と被告との離婚、並びに右原被告間に出生した長女保子及び長男一郎の親権者を原告愛と指定することを求めるため本訴請求に及んだ。

(二)  また、原告重次郎が、このまま被告を養子としておくときは、同原告は、路傍の露と消える運命になるやも計られず、最近では、被告は、同原告の死を待つような言動をなすので、末おそろしくなつている。以上のような次第であるから、原告重次郎にとつては、民法八一四条一項三号に規定するいわゆる被告との養子縁組を継続し難い重大な事由があるものといわねばならない。

よつて、原告は、昭和三〇年九月二日被告との離縁の調停を大阪家庭裁判所に申立て、同三一年八月二五日まで三〇回位調停期日を開いて貰つたが、調停成立に至らず、原告は遂に右調停を取下げ、原告重次郎と被告とを離縁する旨の判決を求めるため本訴に及んだ。

と述べ、被告の主張に対し、

原告の主張に反する事実は、いずれもこれを否認する。

と述べた。

被告訴訟代理人は、主文第一、二項と同旨の判決を求め、答弁として、

一、原告ら主張の請求原因事実中一記載の事実並びに原告主張の各調停の申立がなされたことはいずれもこれを認めるが、その余の事実はいずれもこれを否認する。

尤も、実際に、婿養子縁組をなし、原告愛と被告との婚姻の挙式が行われたのは、昭和二一年五月であり、原告重次郎と被告との婿養子縁組の届出がなされたのは同二二年三月二八日である。

二、(一) 被告は、明治四二年一二月五日亡実父金菱市三郎の三男として出生し、昭和三年三月私立関西甲種商業学校を卒業し、同年四月から同一五年一〇月まで池田実業銀行に勤務し、同一六年一月から同二〇年九月まで株式会社昌運工作所に、同二〇年一一月から同二五年八月まで近畿車輛株式会社に各勤務していたものであるが、右近畿車輛株式会社に勤務中、同二一年五月原告重次郎から婿養子縁組の申込があり、これを承諾し、同時に原告愛と婚姻し、(右各届出は前記のとおり後日なされた)、木村家に入つたものである。

(二) 養親重次郎は、被告が入つた当時は相当遠慮もし、原告愛との夫婦関係も至極円満で、被告も亦将来に希望を持ち、近畿車輛株式会社在職中は、退社と同時に養家に帰宅し、時間があれば畑の耕作をし、かつ家事の手伝いをなし、昭和二三年頃からは養家の菓子類の小売業を被告夫婦にて引継ぎ、只管前途の幸福を念願してきたのである。

(三) ところが、被告の実父が死亡し、昭和二五年八月被告が近畿車輛株式会社を退社してから、養父重次郎の被告に対する態度に変化をきたし、性来酒癖が悪い上に、粗暴な振舞を見るようになり、些細な過失をも容赦せず、旧来の家長権を楯に、夫婦間の問題にまで喙をいれ、気にいらないと被告に対し、「馬鹿野郎」とか、「甲斐性なし」などと暴言を吐くのみか、「出て行け」などと言い、腕力をもつて殴打するなど虐待を繰返した。

しかし、被告は子供らの将来を考えて隠忍してきたのである。

(四) 養親重次郎の右の如き振舞の動機は、(1) 養親は若い時から大酒家で、(2) その性格は異常性格者で、ある程度頑固なこと、(3) 酒癖悪く、酔後は必らず人と喧嘩口論をすること、(4) 極端な守銭奴であること、(5) 極端な家族制度保持者で、家族に対しては家長権をもつて君臨し、威風を示さねばおかぬこと、などの特異性から由来しており、自己の意に添わぬ他人の忠告には一切耳を貸さず、たゞ同郷の馬場某という易者の言のみを信じている状態である。

三、(一) 一方、被告は、原告重次郎の家に同棲してからは、近畿車輛株式会社に勤務し、月取一五、〇〇〇円の他に、年二回の賞与金も全部養家にいれ、しかも入浴、散髪代を除いては小遣銭も支給されず、父として愛児に何一つ買つてやることもできない状態であつた。そして、昭和二三年以来菓子類の小売業を引継いでからは、被告は、帰宅後は勿論休日にはその営業に従事し、寸暇のない生活をしていた、右小売業の資本としては、養親から約五〇、〇〇〇円位の商品、仕入現金一五、〇〇〇円並びにその他の設備若干を受継いだのみであるところ、毎月右資本からうる利益のうち、養親に金五、〇〇〇円を支給し、その余の利益金で一家の生活費は勿論木村家の交際費をも賄つてきたのであり、養親から生活の補助を仰いだことはなかつたのである。

また、被告は、昭和二五年八月退社の際、解雇手当金三一、九〇〇円並びに失業保険金三六、〇〇〇円を貰つたがその全額を養親に交付しているのである。

(二) しかるに、被告は、木村家に入つて以来、一度として物見遊山は勿論映画見物にも行つたことはないのである。

そして、被告に対する養親の仕打ちをみて、原告重次郎の本家の木村浅吉、民生委員の鹿田松次郎や親族の大村重雄らが、養親に対し、その態度の改善方を勧めるなどの尽力をしたが、その効果はなかつたのである。

四、その後、原告ら主張の各調停の申立が大阪家庭裁判所になされたのであるが、それからは、原告らは被告に対し、「出て行け」という態度をとり、一日中二階の一隅に上げられ、家族並びに使用人の食後に、残飯を食べさされ、家族並びに使用人の後で風呂に入れられているような次第であるが、被告はなお隠忍しているのである。

以上のとおりであるから、原告らにとつて本件離婚並びに離縁を継続し難い重大な事由は何等存しないわけで、原告らの本訴各請求はいずれも失当である。

と述べた。

立証として、

原告ら訴訟代理人は、甲第一、二号証を提出し、証人馬場亦太郎、同秋山平治郎、同西田清治、同片山増太郎及び同清水光子の各証言、並びに原告木村重次郎及び同木村愛の各本人尋問の結果を援用し、

被告訴訟代理人は、証人由良源兵衛、同木村藤吉、同鹿田松次郎、同大村重雄、同大森源二、同西岡作兵衛、同金菱芳雄及び同金菱ウサの各証言、並びに被告本人尋問の結果を援用した。

理由

一、まず、職権により、本訴の適否について判断する。

証人大村重雄及び同鹿田松次郎の各証言、並びに原告木村重次郎、同木村愛及び被告の各本人尋問の結果に弁論の全趣旨をも併せ考えると、原告重次郎は、昭和三〇年九月二日大阪家庭裁判所に、被告との離縁の調停申立をなし、原告愛もその頃同裁判所に離婚の調停申立をなしたこと、ところが、右各調停事件の係属した調停委員会では、約一年近くの間三〇回位も熱心に調停をなしたが、被告は右離婚及び離縁に反対し、その話合は成立するに至らず、結局、右委員会では、逆に、誰か適任者を仲にたてて、もとの円満な仲にかえす方がよいと考え、その仲介を訴外大村重雄に依頼したこと、しかし、その後、原告らは、訴外大村重雄の仲介に応ぜず、原告重次郎は、仲介の労をとろうとした右訴外人に対し、「何故家庭裁判所に行つた。勝手なことをして貰つては困る。」と言つて、頭から右仲介を受付けなかつたこと、そこで、右訴外人は訴外鹿田松次郎に右仲介を依頼したこと、よつて、同訴外人は、右仲介をしようとして原告らを同訴外人宅に呼んだが、原告重次郎は、同場所に訴外大村重雄がきたことを理由に、席を立つて帰つてしまい、結局、原告らと被告との仲なおりの話は全く進まなかつたこと、並びに原告重次郎は、当時、被告と離縁すること以外考えていなかつたし、原告愛も被告と離婚する考えで、結局、原告らは、家庭裁判所の調停では、前回の調停の経過から考え、到底、離婚や離縁の調停成立は不可能なことが明らかであつたので、前記各調停を、昭和二五年八月二五日に、それぞれ取下げ、その二一日後である同年九月一五日に、本件離婚並びに離縁の各訴をそれぞれ大阪地方裁判所に提起したことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

凡そ、離婚又は離縁などの人事訴訟事件の訴を提起するには、家事審判法一八条一項により、まず、家庭裁判所に対し、各調停の申立をなさねばならず、右調停が不成立になつた後、初めて右離婚又は離縁の訴を地方裁判所に提起しうるわけで、たとえ、右離婚又は離縁につき、以前に調停がなされていたとしても、右調停が取下により終了している場合には、改めて調停の申立をなして後、初めて右離婚又は離縁の訴を提起しうるものといわねばならず、たとえ、以前に該離婚又は離縁の調停申立がなされていても、それらの申立が取下によつて終了している場合には、右各訴の提起を受けた地方裁判所は、これらの訴を不適法なものとして、家事審判法一八条二項本文により、これを管轄家庭裁判所の調停に付しなければならないわけである。

しかしながら、同法一八条二項但書によれば、「裁判所が事件を調停に付することを適当でないと認めるときは、この限りでない。」旨規定し、ここに「調停に付することを適当でない場合」とは、一般的には、相手方とすべき者が行方不明である場合や、死者に代わり検察官を相手とする場合など、その性質上調停に付することが適当でない場合を指称するわけであるが、特別な場合、即ち、以前に調停の申立がなされており、該調停は取下によつて終了しているような場合において、該調停の経過や各当事者の意思に鑑み、再度調停に付しても到底調停の成立は期待できないような場合であつて、かつ、右調停を取下げてから二、三週間以内という極めて近接した日時において右調停の申立のあつた事件につき、訴が提起されたような場合をも指称するものと解するを相当とし、右の場合には、いわゆる調停前置主義の例外として、調停を経ることなく訴を提起しうるものといわねばならない。

ところで、前認定事実によると、本件各訴は、結局、訴提起前に調停を経ていないのであるが、以前に取下げられた各調停の経過並びに各当事者の意思に鑑み、再度調停に付してもその成立は期待できず、かつ、右各調停を取下げてから僅か二一日目という極めて近接した日時において、右各調停の申立のあつた事件につき、本件離婚並びに離縁の各訴が提起されたものであることが認められるから、当裁判所は、本件各訴を調停に付することは適当でないと認める。従つて、本件各訴は、調停前置主義の例外に当る場合であつて、適法なものといわねばならない。

そこで、進んで、本案につき判断することとする。

二、その方式及び趣旨により公務員が職務上作成したものと認められるから真正な公文書と推定すべき甲第一、二号証(いずれも戸籍謄本)、並びに原告木村愛、同木村重次郎及び被告の各本人尋問の結果によると、原告重次郎と訴外木村きたは、昭和二一年五月被告との間に事実上の婿養子縁組をなし、同時に原告重次郎の長女である原告木村愛は被告と婚姻の挙式をなし、爾来、被告は、原告らの住所において、原告らと同棲し、同二二年三月二八日に右婿養子縁組、婚姻の届出がなされたこと、そして、右挙式当時、被告は、近畿車輛株式会社に勤めていたので、原告らと同棲後も同社に通勤し、原告重次郎ら養父母は菓子小売商を営んでいたこと、その後、被告と原告愛との間に同年八月一一日に長女保子、同二四年一月一六日に長男一郎が出生したことが認められる。

(一)  ところで、原告重次郎は、請求原因事実二並びに三の(二)記載のとおり、原告重次郎にとつて、被告との養子縁組を継続し難い重大な事由がある旨主張し、被告は、その主張事実二ないし四記載のとおり右原告の主張を争うので、まず、原告重次郎にとつて被告との縁組を継続し難い重大な事由が存するかどうかについて判断することとする。

(1)  証人大森源二及び同金菱ウサの各証言に、原告木村重次郎、同木村愛及び被告の各本人尋問の結果(原告木村重次郎及び同木村愛の各本人尋問の結果中左記措信しない部分を除く。)を綜合すると、原告らと被告がそれぞれ婿養子縁組並びに婚姻をなし、被告が原告らの家で同棲するようになつた当座は、原告愛と被告との夫婦仲は普通で、仲よく生活し、また、原告重次郎と被告との仲もうまく行つていたこと、被告は、関西甲種商業学校を昭和三年に卒業し、同時に池田実業銀行に勤め、同一五年に同銀行を退職し、同一六年一月徴用で株式会社昌運工作所で働くようになり、同二〇年八月まで同所で働き、その後同年一一月に近畿車輛株式会社に勤め始め、同二五年八月に人員整理のため退職したこと、被告は、前記縁組後は、右会社から帰ると、時間があれば原告重次郎が営んでいる菓子の小売商を手伝い、月給も袋のまま原告愛に渡し、同原告から風呂代や散髪代として月一〇〇円位貰つていたこと、前記会社を退職した際被告が貰つた退職金は、原告らに全額手渡したこと、被告は、前記会社を退職後は、失業保険金の支給を受けていたが、受給期間が経過して後は、職を探しに廻つているうち、福徳相互銀行の外交員になり、二ケ月程勤めたが、金もなく服装もととのえられず、契約を三件位とつたのみで同銀行を退職し、その後、半年程薬の瓶詰の仕事に行つていたが、先方の仕事が暇になつたので、この仕事もやめたこと、それからは、被告に職もないところから、本家の木村麻吉の仲介により、原告重次郎が経営していた菓子の小売商を、被告夫婦が責任をもつてやることになつたことが認められ、原告木村重次郎並びに同愛の各本人尋問の結果中右認定に反する部分は、被告の本人尋問の結果と比照して、にわかに信用できないし、その他右認定を左右するに足る証拠はない。

(2)  また、証人馬場亦太郎、同大森源二、同木村重雄、同鹿田松次郎及び同金菱芳雄の各証言、証人片山増太郎、同秋山平治郎及び同金菱ウサの各証言の一部並びに原告木村重次郎、同木村愛及び被告の各本人尋問の結果の一部を綜合すると、被告の性格は、真面目で、正直で、辛抱強く、また、温厚で、暴力など振うようなことはないが、頑固なところがあり、無口で、必要以上に口数が少く、人にせよといわれると余計それをしないような傾向があり、従つて、客などの扱いは下手で、商売には適していないこと、このため、品物の仕入なども上手ではなく、品物の仕入に行くと時間もかかること、被告は責任をもつて菓子の小売店を始めてから一年位は仕事に精を出していたこと、しかし、被告は貧血症と脚気の気味があり、朝は八時頃に起き、右の病気がでると昼間でもよく寝ること、店にでても新聞などを一時間位読み、客がきても直ぐに応待に出ようとしない傾向にあること、しかし、被告の知能はその学歴や職歴からみて普通人より劣つているとはいえないこと、被告が右商売をやり初めてから後、昭和二八年一二月頃から同三一年五月まで、家賃として被告から原告重次郎に毎月五、〇〇〇円宛を手渡していること、原告らや被告の家族の生活費は、全部被告夫婦の菓子店の収入でまかなつていたこと、そのような事情もあつて、菓子店は、被告が店を譲り受けた時より段々その仕入品も減少してきたこと、反面、原告重次郎の性格にも頑固なところがあり、金儲けについては特にやかましい人柄であり、このようなところから、原告重次郎は、被告に対し、商売のことなど口やかましく小言を言うようになつたこと、そして、原告重次郎が被告に口やかましく言うと、被告は、養父との紛争を避けたい気持もあつて、余り養父に口をきかず、益々口数が少くなり、原告重次郎は、このような被告の態度が不満で、いわゆる家のために役に立たない将来性のない養子であるという気持が強くなつたこと、そこで、原告重次郎は、被告に対し「二階に上つておれ」などと言い、被告は、前記病気のためや、養父との紛争を避けるためもあつて、また性格上無口なところより、右原告に余り応答せず、默つて二階に上つて何日も寝ているようなことがあつたこと、被告が店をやつている時、原告重次郎に頼まれて、訴外馬場亦太郎が被告と話合つたことがあり、その時には、一時、原告重次郎と被告の仲は大分よくなつていたこと、その後、訴外鹿田松次郎が、原告重次郎と被告との仲を円満にするため、二、三回仲介の労をとつたが、被告が充分発言しないため、結局、うやむやになつたこと、また、被告は、二階の構造の関係で子供らに殆んど会わず、原告らから殆んど小遣も貰つていないので、所持金もなく、子供らには何一つ買つてやれないこと、しかし、被告は、現在も原告らと同居し、原告らに対し、別に憎しみも感じておらず、原告らと離縁したり、離婚する気持はなく、子供らのことも可愛そうに思つていること、前記調停の各申立がなされて以来約五年余り、被告は、原告愛や子供らとは別室で起居さされ、原告らから冷たくされても、辛抱して、主として、二階の一室で、淋しく生活していること、並びに、原告重次郎の家族の財産としては、(イ)大阪市北区天神橋筋に土地付の借家六戸(原告愛名義のもので、一ケ月の家賃収入は金一一、〇〇〇円)、(ロ)同市城東区蒲生町に借家三戸(原告愛名義のもので、一ケ月の家賃収入金六、五〇〇円)(ハ)原告らが現在居住している階下が八畳と二畳の店の間、女中部屋、四畳半及び風呂、二階が六畳、四畳半、四畳半、六畳、三畳の二階建家屋(原告愛名義のもの)、(ニ)右住居の隣にある宅地付アパート一棟(原告重次郎名義のもの上下四戸、但し、宅地は前記孫の一郎名義のもの)(ホ)守口にある平家建の二戸一棟の家屋(但し、宅地は借地)、(ヘ)宅地二〇〇坪(前記孫の保子名義のもので、一ケ月の地代収入金一〇、〇〇〇円)などがあり、その収入は、右の家賃や宅地の賃料収入の他に、現在も営んでいる菓子の小売による収入があることが認められ、証人清水光子、同片山増太郎、同秋山平治郎及び同金菱ウサの各証言、並びに原告木村重次郎、同木村愛及び被告の各本人尋問の結果中右認定に反する部分は、前顕各証拠と比照し、にわかに信用できないし、その他右認定を左右するに足る証拠はない。

以上の事実を綜合して考えると、結局、原告重次郎と被告との縁組関係はある程度破綻しているものといわねばならない。しかしながら、凡そ、縁組を継続し難い重大な事由があるというためには、その縁組を破綻させるに至つた原因の大半が相手方に存することを要し、その原因の大半が自己に存する場合には、たとえある程度縁組が破綻の状態に頻したとしても、縁組を継続し難い重大な事由があるとして離縁を求めることは許されないものと解するを相当とする

ところ、前認定事実によると、被告の性格には、頑固なところがあり、無口で、商売にはむかない性格で、原告重次郎にやかましく言われると、被告は、自分の病気のためや、紛争を避ける意味もあつて、余り応答せずに、二階で寝ているようなことはあるが、被告は、その学歴や職歴から見ても、通常人に比し特に知能が低いというようなことはないし、菓子店をまかされてから一年位は熱心に仕事をしていたのであり、また、被告は養父の重次郎に対し暴力を振つたり、特に不遜な言動に出るわけでもなく、原告重次郎には実質的に相当の資産もあり、必ずしも菓子の小売をやつて行かねばならないというような状態ではないことが認められ、これに対し、前認定事実によると、原告重次郎の性格は頑固で、金儲けにやかましく、被告には殆んど小遣も与えず、たゞ働くことのみ願い、いわゆる家のために役立たない養子として、不満なため、被告に冷くあたり、そのため、原告重次郎と被告との間がうまく行かないようになつているものと認められる。そして、現行法制のもとではいわゆる家の制度は存在しないこと勿論であつて、家のための養子という観念に立つて、家のために役立たない婿として不満を持ち、これが縁組破綻の大半の原因となつている場合には、その破綻の大半の責任は、むしろ、その不満を持つ側に存するものといわねばならない。

そうすると、本件にあつては、結局、原告重次郎と被告との縁組はある程度破綻状態になつてはいるが、その破綻の原因は、被告にのみ存するのでなく、むしろ大半の原因は原告重次郎にあるものといわねばならないから、原告重次郎にとつて、被告との縁組を継続し難い重大な事由が存するものとは認められないし、その他右認定を左右するに足るような事実を認めるに足る証拠はない。

よつて、原告重次郎の、被告との離縁を求める本訴請求は失当であるから、これを棄却することとする。

(二)  次に、原告愛は、その主張事実二及び三の(一)記載のとおり、原告愛にとつて、被告との婚姻を継続し難い重大な事由がある旨主張し、被告は、その主張事実二ないし四記載のとおり、これを争うので、原告愛にとつて、被告との婚姻を継続し難い重大な事由が存するか否かの点について判断することとする。

(1)  証人木村重雄の証言に原告木村愛並びに被告の各本人尋問の結果を併せ考えると、原告愛は、大阪府立八尾高等女学校を卒業しており、温順な性格で、被告との仲も特に悪いということはなかつたこと、しかし、前記調停の申立をしてからは、原告愛は被告と夫婦関係をたち、別室で起居しておること、前記調停の際には、「私は父のいう通りに従つていますが、子供の事を考えると、本心は別れたくありません、」と述べていること、原告愛にとつて、被告の無口なことはさして気にならないが、被告が養父の重次郎に余り物を言わず、応答しないことが一番気になり、右調停後も被告が仕事をしないので、現在では被告と離婚する気持になつていること、また、右調停申立後は、被告は、原告らから冷たくされており、養父から「二階に上つておれ」などといわれるので、二階に上つていて、仕事の手伝などをしていないこと、そして、養父に応答しないのは、前段認定のような事情も存すること、並びに、原告愛と被告との間の子供二人は、中学校一年生と小学校六年生とであることが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。

以上認定の事実をもつてしては、未だ、原告愛にとつて、被告との婚姻を継続し難い重大な事由が存するものとは認められないし、その他全証拠によるも、原告愛にとつて、被告との婚姻を継続し難い重大な事由が存するような事実は認められない。

そうすると、爾余の判断をするまでもなく、原告愛の、被告との離婚を求める本訴請求は失当であるから、これを棄却することとする。

なお、凡そ、血族であれ、法定血族であれ、一般に身分関係は、一身専属のものであるから、離縁の訴を提起した原告たる養親が死亡した場合には、該離縁の訴訟は当然終了するものと解されるところ、原告木村愛の本人尋問の結果によれば、本件離縁の訴において原告であつた被告の養母木村きたは、昭和三一年一〇月一七日に死亡したことが認められるから、右木村きたと被告との離縁の訴訟は、右きたの死亡により当然終了しているから、もと本件の原告であつた木村きたと被告との離縁の訴については判決しない。

よつて、訴訟費用の負担につき、民訴八九条、九三条本文を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 入江菊之助 弓削孟 中川敏男)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例